第03話   孟浩然の 「  平成16年05月22日  

春の釣は早朝に限る。ところが春は目覚めが悪い。若い頃の私は、23人での釣行が多かった。いつも産卵の終わった初夏から黒鯛を狙っての釣をするので、春は当然のようにタナゴを狙っての釣をする。早春の三歳タナゴを狙うにはイサダで釣るのが一番である。イサダを捕って釣り場に行くには、早朝まだ朝開けやらぬ時間帯に友と待ち合わせして行く事になる。そして毎日曜は海岸で夜明け方を迎えるに事になるのが決まりであった。早朝の海岸は清々しく気持が良い。そして春の暁を肌で感じそれから磯場に出かけた。清少納言は「春は曙。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて・・・」と云って曙が好きだったらしい。昔の人たちは早起きは三文の徳と云っていたから早起きが苦にならなかったのか、それが当たり前の事としてやっていたのか。

しかし、最近の自分は朝早起きが辛く中々起きる事が出来ない。だから最近は、朝の釣より夕方の釣の方が圧倒的に多い。庄内の春の釣では何故か早朝か夕方の時間帯が良く釣れて日中の釣では中々釣れない。特に天候が良く浪の無い時は潮が澄んでいるので底まで丸見えとなる事が多く、釣る魚にもよるが、日中は波があるか又は濁りが入らないと釣れる事が少ない。

暁の意を広辞苑にて紐解くと朝やや明るくなってからというが、古くは暗いうち夜が明けやらんとする時とある。時代と共に意味も変わって来る。曙は現代の意と同じ時間帯に当たる。昔の意では暁がありきで次に曙となる。

朝寝坊になってから、特に体調の事もあり春になると起きなければと思いつつ、ついつい気持が良く寝過ごしてしまう。そこで毎年春になると思い出すのが、高校一年の時の恩師に習った唐の時代の詩人孟浩然の「春暁」の五言絶句である。孟浩然は李白と共に高名な唐を代表する詩人だ。

春          孟浩然 689740

春 眠 不 覚 暁      春眠暁を覚えず

処 処 聞 啼 鳥      処々に啼鳥を聞く

夜 来 風 雨 声      夜来風雨の声

花 落 知 多 少      花落ちること知りぬ多少

(春の眠りは心地よく、夜の明けるのも分からぬまま寝過ごしてしまった。ふと気が付くと、あちらこちらで鳥のさえずりの声が聞こえる。どうも夜が明けたらしい。それにつけても、昨夜は雨風の音が激しかった。春の嵐で庭の花々はどれほど散ったことだろう。)

それにしても春は眠い。釣と眠さを天秤にかけ日曜日の朝は戦いの場となる。